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建築のこと

なぜか誰も気づかない、建築設計図の落とし穴

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100%共感される話

建築設計図には「答え」しか描(か)かれていない。最後まで話すと100%共感してもらえるこの話を、今日は詳しく書きたいと思う。

建築設計図を見たことがありますか

建築設計図、というものをご覧になったことがあるだろうか。いわゆる「図面」というやつだ。建物の新築、あるいはリフォームにかかわると、もれなく目にすることができる。

建築設計図が「ある目的のための手段」としてつくられていることくらいは、誰もが想像できるだろう。しかし、その目的が、実は一つではないということは、意外と知られていない。建築設計図の目的を列記してみる。

1) 建物の完成した姿を施主に伝える
2) 建物の完成した姿を建設業者に伝える
3) 建物の建設費用を算出する
4) 建物およびその建設行為が、法令にかなうことを証明する

細かく分ければキリがないが、大きくは、この4つ目的を果たすためにつくられるのが建築設計図である、と言えるだろう。

建築設計図もいろいろある

建築設計図は、1つの建物につき複数枚におよぶ。中には100枚を超えるものもある。平均的な一戸建て住宅であれば10枚程度だ。それぞれの設計図には、別々の目的があるからこそ1枚ではなく複数枚つくられるわけだが、その目的が上記1)~4)に当てはまることは言うまでもない。ものによっては、1つの場合もあるが、たいていの図面は1)~4)の内、2つ以上の目的を兼ねる。

例を挙げよう。「平面図(へいめんず)」と呼ばれる図面がある。建物をある高さ──たいていは特定の階の床と天井の間のどこか──で水平に切断し、切断面より下の部分を上から見下ろした様子を描いたものだ。平面図が伝えたい情報の半分以上は数字だと言える。いわゆる寸法だ。建物の大きさはもとより、壁の厚み、窓の間口、廊下の幅などをミリ単位で書き入れる。

平面図は1)~4)の目的をすべてかなえる。描かれた線や書き込まれた言葉と寸法は、完成した姿を施主および建設業者に伝え、建設費用算出の根拠となり、法令にかなうことを証明する。

設計図をめぐるトラブル

建築という行為は施主のお金と引き換えに、施主の頭の中の理想を建物というカタチにするものだと言える。すると建築設計は、施主の頭の中の問いに、カタチという答えを出す、という作業だろう。その答えを表現する手段が建築設計図であり、これは目的の1)にあたる。

施主は建築設計図を見る。納得すれば建設工事へと進む。「答え」である設計図を建設業者が見る番だ。これは目的の2)にあたる。設計図を見た業者は、建設費用を算出し、施主と契約し、答えの通りに工事に進め、建物を完成させ、施主からお金を受け取る。

実にスムーズだ。スムーズなはずだ。ところが...現実は少しもスムーズでない。しばしば流れがとどこおる。とくに建設業者が登場してからが、とどおこる。

問題は、気づかないこと。あきらめていること

建築業者が建築設計図に対して疑問を感じる。しっくりこない、と言った方が適当か。疑問を解消しようと努力する人はまれで、大多数の建設従事者は「しっくりこないこと」を文化のせいにしてあきらめている。ストレスはしかたないと思っている。疑問が生まれる真の原因を解決しようという意識を、残念ながら感じたことがない。

原因は明白である。冒頭に書いたとおり、設計図に答えしか描(か)いてないことだ。答えは問いと対でなければならない。「ねばならない」というより、問いの存在がなければ、それは答えとしての用をなさない。文化によって慣らされて、こんな当たり前のことにさえ、無頓着になっているのだ。

たとえ話をします

あなたが試験を受けるとしよう。出題形式は四者択一だ。解答用紙と一緒に、問題ではなく解答が渡される。試験官は「その通りに書けばよい」と言う。

その試験には間違いなく合格するだろう。必要なのは文字を書く力と素直さだけだ。けれども何とも、しっくりこない。そもそも、その「解答」とやらが正しいのかどうか、確かめる術がまるでない。そんなときほど、無類の素直さにあこがれることはないだろう。

あるいは船に乗っているとしよう。あなたは漕ぎ手だ。リーダーと呼ばれる人がいる。リーダーは「漕げ」と言う。オールの向き、力を入れるタイミング。漕ぎ方の指示は、実に丁寧だ。

ところがあなたは、船の行き先を知らない。あなただけでなく漕ぎ手はみな、行き先を知らない。そしてあなた以外の漕ぎ手は楽しそうでこそないが、不思議なくらい行き先に興味がないと見える。キャプテンは「俺を信じろ」と言う。あなたは...しっくりこない。

答えを書く時は、問いが知りたい

四択の正解は一つしかない。理想の船の漕ぎ方も一つかもしれない。設計者が出した施主の問いに対する答えも、おそらく模範解答だろう。

それでも私はこう思う。答えを書く時は、問いが知りたい。船を漕ぐときは行き先を知りたい。問いを知って答えを書く時と、行き先を知って船を漕ぐ時。その結果は、そうでない時と同じではない、と。

あえて文化に挑戦する

「建築という行為は、施主の頭の中の理想を建物というカタチにするものだ」と書いた。建築における建物は、先のたとえで言えば、解答用紙を完成させることであり、理想のフォームで船を漕ぐことだ。それは手段であって目的ではない。大切なのは目的だ。「問い」だ。施主の頭の中の理想なのだ。

建設業者は気づいていないが、問いを知りたいという潜在的な欲求がある。こだわりと自信があればあるほど、それは「設計図への疑問」というカタチで顕在化する。建設現場がとどおこる原因のほとんどがここにある。

私は、設計者、建設業者、そして施主として、10,000をはるかに超える数の建築設計図に触れてきた。その図面に描かれている答えが、どんな問いに対するものなのか。そこまで記載されている設計図には、ただの一度も出会ったことがない。

私が取り組むコンシェルジュサービスは、「答え」に対する「問い」を、施主側、建築業者側の全員で共有する、そのためだけにある。これは文化に対する挑戦だと思っている。

オーダーコンシェルジュ長谷川高士とは