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雑感

「正しい」「間違っている」と力む人への対処方法

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君は間違っている!

「君は間違っている」と指摘されて腹が立つことがある。きっと読者にもあるだろう。みんなある...と思う。

さて、この「君は間違っている」という指摘は、果たして妥当なのだろうか、ということを今日は考えたい。

私事を書かせて頂く。私は「善悪や正誤という基準で物事を判断するのを止めよう」と、ある時に決めた。「絶対的に正しいこともなければ、絶対的に悪いこともない」というのが私の持論...だった。過去形である。ある年明けに、持論を修正せざるを得ない機会にめぐまれた。

持論を修正した話

年賀状がきっかけだった。「宛名は正確に書かねばならない」という思いが、ふと頭をよぎった。ところが次の瞬間、言いようのない「嫌な気分」に支配された。

「正確...だって?」

実に共感が得られにくい話だと思うが、善悪や正誤という絶対的な基準を否定していた私が、何の疑いもなく「正確」という言葉を使って思考したことに、自分自身で驚いたのだった。

しかも、その考えを否定することができない。宛名は正確に書かねばならないのだ。当たり前だった。

おかしい。「正しい」などという基準はないはずだったのに。

しばらく考えた結果、嫌な気分を払拭することができた。そして、この嫌な気分を払拭できた理由こそ、今日の主題である。

正誤は比べた結果だった

善悪と正誤は、同列に扱ってはいけない。善悪は面倒だし、今日の主題には必須ではないので、後にまわす。

正誤である。私は、宛名を正確に、つまりは正しく書かねばならない、と思った。繰り返すがその通りだ。疑問をはさむ余地がまるでない。ではこの場合の「正しい」とはどういうことだろうか。

年賀状を送りたい相手がいる。その人に名前がある。そして、年賀はがきに書く宛名がある。この状況で、はがきに書かれた宛名が相手の名前と一致していれば「正しく」書けたことになる。この当たり前すぎる確認のプロセスは、当たり前すぎるがゆえに、普段は見すごされている。

そこで一歩踏み込んでみる。すると「正しい」または「間違っている」は、2つの事象を比べて得られる結果のことだ、ということがわかる。逆に言えば、2つの事象さえあれば、一方が他方に対して正しいか間違っているかを判断することができる。そう、判断できるのだ。

ここが私の誤解だった。正誤を善悪と同列に扱い「正誤という基準で判断するのやめよう」としていた。判断そのものを否定していたのだ。「絶対的な正誤の基準はない」ということと「正誤という概念は不要だ」ということは、似ているようで全くちがうのだった。猛省した。

腹が立つ理由

「君は間違っている」と私に指摘した人のことを考えてみたい。指摘した人は、何を何と比較したのだろう。「何を」にあたる何は「君」だろう。この場合の「君」は私だ。「君」の後ろには言葉が略さている。「の言ったこと」「のやったこと」など言動に関わることだ。ここでは代表して「私の言ったこと」だと仮定しよう。

「何と」にあたる何はどうだろう。きっとそれは「自分のルール」だ。彼は「私の言ったこと」を「自分のルール」と比べた。すると一致しない箇所が見つかった。そして「君は間違っている」と指摘した。

私は腹が立った。なぜ腹が立つのか。私は正しいと思っているからだ。私は「私のルール」と比べて一致すること、つまり正しいことを言った。しかし否定された。この時、私は、私のルールが否定されたと感じている。だから腹が立つ。

指摘した人の妥当性

さて、今日の課題は「君は間違っている」という指摘は妥当か、という問いに答えることだった。指摘した人の立場からすれば、妥当だと言わざるを得ない。ただし言葉が足らない。まったく足りていない。

間違っている、と指摘するときは、何を何と比べて間違っているのか、それを明確にすることが礼儀だろう。この場合なら「君の言ったことは、僕のルールに合わない」と言うべきだ。これなら不思議と腹が立たない。私のルールを否定されている、と感じないからだ。

こう考えてみてはどうだろう

「絶対的に正しいあるいは間違っている、という基準はない」という命題が、正しいかどうかはわからない。宇宙の真理、なるものがあるとすれば、その真理に一致することは「絶対的に正しい」だろう。しかし宇宙の真理なるものの存在を、肯定も否定もできないからだ。

肯定も否定もできないことは考えないことにしよう、と決めている。力まない方がきっといい。だから持論を修正した。「絶対的に正しいことはない」という部分を削除した。それ以来、「正しい」とか「間違っている」と力んでいる人に出会ったら、こう考えることにしている。

「この人は、一体、何を何と比べているのだろう」

答えがわかれば、つられてこちらも力まずに済む。相手の「間違っている」という判断を受け止めることができる。

私もまた「正しい」または「間違っている」と指摘する必要に迫られることがある。そのときは自分にこう言いきかせる。

「何を何と比べているのかを明確にして、話そう」

後まわしにしてしまった善悪のはなしは、後日書かせて頂く。